金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

捨身飼虎

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次の生まれ変わりに期待して自殺する。

ハッキリ言ってこの考えは大乗小乗ともに仏教のものではない。

錯乱した思想にとらわれていたのだろうか。

この世での行いで次の転生がきまるのだ。それを逸脱して何が高い次元か?

この行為はゲームのリセットのようなものだ。

身命を捨てる逸話自体はある。

金光明経に「捨身飼虎」という逸話があり、飢えのあまり小虎を食べようとする母虎のために釈尊が前世で身投げして虎を救うという前世譚などはある。

だがあくまで救いの対象があって、やむなく命を差し出すので命を捨てること自体はまったく目的ではない。

あくまでやむなき利他行である。

この御僧侶の行いは利他になっているのだろうか?

大いに疑問だ。

この「捨身飼虎」の絵は玉虫厨子に描かれた題材でもある。

玉虫厨子もあれだけの玉虫を殺し羽根をむしって殺生し荘厳して何になるんだろうか。

罪の深いことをしたものだ。ただの悪行だ。

そんなものを奉納してもを仏陀は喜ばない。

眉をしかめられて悲しむことだろう。

これも仏教に暗い人間の仕業だろう。

 仏教を正しく理解しないととりかえしのつかない過ちになる。

 

以前辛いので自殺したいがいけないことですか?罰が当たりますか?と問われた。

罰は当たらないだろうが、仏教ではそれを「断見」という間違いだしています。

死んだら新たに生まれてももっと悲惨な人生を歩むことになる。

人生やり残し、積み残しの責任は新たな人生でもとらされる。

死んでも解消しない。