金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

アングリマーラたちの最後


オウム死刑囚の刑が全員執行されたようです。
まだ調べるべきの声もあるけど私はこれでいいと思う。
そもそも死刑は確定したら45日間以内に執行されるべきものだとききます。
刑が確定した時点で取り調べは終わっているのだから生かしておいても同じです。そののちは何も変わらない。
警察は把握していても世間に言わないことも沢山ありるでしょうから。
調べるべきはもう終わっていると思う。

井上死刑囚などはかわいそうだといえばかわいそうであると思います。
高校時代から深い宗教的な憧れをもっていた若者が邪師に出会いだまされて凶悪犯罪者になった。
愚かで哀れな実に悲しい話です。

親鸞聖人はたとえ人を1000人殺そうとしても1人すらも殺せない人もいれば、虫も殺したくないと思っても屍の山を築く。世の中にはそういうことがある、全て宿業のしからしむ所と言っています。そういう人間観察は親鸞さんは凄いなと思う。
そういうことはあるでしょう。
今回もそうです。麻原も含めサリンで死人の山を築くことを夢見て育ったわけではあるまい、

だが到底許されることではないのです。

アングリマーラの話を知っていますか?邪師に騙され。千人の人を殺して指で首飾り作ったといいます。このため指鬘外道の名があります。
でも彼は後に間違ったよこしまな教えに帰依していたことを悔悛して仏陀の弟子になった。
でも恨みある日、被害者の遺族や彼の所業を知る町の人々に囲まれ殺されてしまいます。

でもこれは致し方ないことです。
本人が改心しても被害者は被害者。彼らが救済されるわけではない。
だから罰は受けねばなりません。ある意味、麻原以外は全員アングリマーラです。
よくいうイエスが娼婦であるマグダラのマリアをかばったのとはレヴェルが違いすぎる。
マリアは人を傷つけてはいない。
彼女が娼婦なのは買うやつがいるから娼婦なのです。
「汚らわしい女メ!」とマリアを蔑み
憎むのは自分たちの情欲を恥じるのと同じかもしれない。
だからイエスが汝らのうち罪なき者がいるならこの女を最初に石うてといっていますね。

死刑については色々論議はある。表向き仏教界では反対が主流。
私も終身刑があるならそれが極刑でいいと思う。
でも有期刑だけなら死刑もないといけない。
また出てきますから。

しかし、いかなる刑であれ、・・・罰を受けるのは彼が人間だからです。虎やクマなら人を害してもしょうがないね。
虎やクマはそういうもんだもの。よく脱走して人を噛んだ虎を捕まえたうえで射殺とか言っているけど、つかまえたのなら殺すのは意味ないね。虎はそういうものだからね。
もしも人を噛む虎は殺すべきだというなら絶滅させないといけない。皆噛むもの。

此れこそ物言わぬ動物だから「こん畜生」とばかり、思い切りリベンジしていいと思っているに過ぎない。そういう共通了解でしょう。
たとえ虎にかまれた人の遺族が目前にいても私はそういいます。

私は麻原よりはるかにそういう虎の命をとるほうが理不尽と思います。
捕まえて勝手に町中に連れてきて、逃げて人噛んだから殺してしまう。疑問に思う。

でも井上君は虎じゃない。人間です。
人間である以上には罰は受けないといけない。
死刑にしても死んだ人は帰ってこない、それはそう。だけど死刑は何よりもその犯罪者たち自身のためにある。
だから井上君が死刑になるのは誰よりも井上君自身のためです。
そう思っています。
人間であることの最後の証明です。
だから現行法における死刑には私は反対しません。
彼の高校時代の恩師は教室でいつも瞑想みたいなことしていたという。
そういう無垢な若者を殺人鬼にしたのが麻原です。
だから弁護士も減刑の嘆願を被害者遺族にまでしたらしい。

そこは本当に可愛そうだな・・・と思うけどもうすべて手遅れです。

だから、私は方法はどうしたらいいかわからないけど、死刑があるならば、その前に望むなら自決という判決があってもいいとは思う。

人間の命はどんな人物でもその人自身のものならそれはあっていいと思う。
昔だって切腹と打ち首は大きな違いでした。