悩みって必要だから悩む。
悩んで結論でる。
本来はそう言う機能。
全く悩まないのは病気です。
ハッキリ言って必要です。悩みは。
でも無駄に悩む病気もある。
鬱病の原因。
そういうのは仏教に対峙する方法がある。
悩みを時間別で細切れにする。
金剛経の
現在心も不可得
過去心も不可得
未来心も不可得
というくだり
悩みは過去から未来にかけての連続体。
だが文字通り過去は過ぎ去り、未来は未だ来ない。井町、事実上そこに存在はない。
なら今この一秒、一瞬を見つめてください。
今この瞬間は何も悩みはないのでは?
例えば激烈な痛みに襲われているとかなら別だと思うけど。
だとすればいつ悩むの?今ここには何もない。
悩みとは連続した般若心経ではいう「顛倒妄想」です。
お釈迦様は最後におなかを壊してなくなったけどこうした観念でしのばれた。
生理的に体はつらかったけど病への恐怖や悩みはしのばれたのだと思う。
イギリスの貴族社会の末期を描く映画「ダウントンアビー」で老侯爵夫人が、孫娘に自分の先が長くない病にかかったことを打ち明ける場面。
やがては亡くなるのだ。
孫娘が強いショックで涙を流すと老婦人は「あら、泣かないで。いまはまだ何も悲しいことはないわ。」と言う。