刹那滅を感じる瞑想がある。上座部でさかんだ。
外界の音をきいたりしてのつど認識していく。
これをしていくと確かに一種の不思議境に入る感じはする。
我々は今の一刹那にしか存在しない。
金剛経には
過去心も不可得
現在心も不可得
未来心も不可得
とある。
よく似ているが少し違う。
大乗の修行者がこういう観法を修行するのは結構であるが手放しで「素晴らしい‼」などいうばかりだとボタンの掛け違いになる心配もないではない。
刹那滅は生起しては滅ぶものの連続を一連として人間が誤解していると考える。
そこには刹那的ではあっても過去も現在も未来もある。
対するに大乗は今の今もないという。
今をとらえることは厳密にはできない。我々の一刹那の思考よりも短い単位は時間的にもちろん存在する。
それは理屈から言ってもとらえられない。
よく上座部は析空観で宇宙論的だが大乗は体空観といわれる。
徹底して認識論的な立場でできてるなと思う。