時間というものを時々刻々追及して瞑想していけば自分の存在する時間はとえらえることは不可能だとわかる優れた観法です。
しかし大乗仏教にもそうしたものの見方は厳然としてある。
金剛般若経の「過去心も不可得、未来心も不可得、現在心も不可得」は全く同じことを言っている。
此処でとらえる対象は外界の事物や音でなく心です。
「今の心をとらえてごらん」ということ。
捕らえようとした瞬間、主体は客体になり、その客体は一瞬にして過去のもの。それは今の心ではない。
古来訓読も多く読まれるわけがわかる。