日天といえばスーリヤという印度由来の太陽の神様。
薬師さまのおつきの日光菩薩とどう違うのか?
日天は太陽の恵みの神格化ですね。
日本で言えば天照大神ですが、そこも少し違う。
天照大神は皇祖、民族神の要素がある。
いわばトーテミズムがあり、大和民族は太陽の子孫だという。
日光菩薩は菩薩ですのであくまで太陽からわれわれの受けている慈悲の側面を言います。
日天は怒れば旱魃になるといいますから、過酷でもあり恩恵もある自然神ですが、日光菩薩は菩薩ですので日光的な恩徳のみを持つ存在。
自然界には生き物を活かそうという働きがある。これがそもそも大日如来で太陽に譬えられる。
太陽の届かない深海の深海魚や土の底のクマムシのような生き物でも間接的には皆太陽の恩恵で生きています。
太陽がなくなっても生きていけるという存在はない。
命を活かす力が大日如来。太陽はその表現であり、太陽神ではない。
日光菩薩はその大日如来の生き物を生育する徳を具現化した存在。
だから日光菩薩もまた天体神ではない。
月光菩薩と月天も同じ関係です。
どれも我々の信仰によって集合無意識として働く力を持っています。
若いころ体を悪くして薬師さまを念じながら寝た。
夢に光る粒子のようなものが流れてきて、たちまち仏画の点書きのような月光菩薩と金毘羅大将が現れてその日から急速に病気は良くなった体験があります。
金毘羅大将も月光菩薩も薬師さまの御家来
慈悲の菩薩だから祈れば答える。
金毘羅様なんてクンビーラというワニの神様なんだけど薬師さまを祈れば、眷属なのでそれに答えて出て来る。
十五夜お月さまは我々が恩恵を感謝するもの。
星祭りにおける月天は歳回りの吉星で恩恵あまねく現れるよう祈るもの。
月光菩薩はもっと具体的に救済力を持つ菩薩です。