昨夜、豪潮さんに詳しい大森先生から教えて頂きましたが、豪潮さんが中国僧から具足戒を受けたということをいう歴史にもとづいた文献はないようです。
ましてや准胝独部法は比叡山のからさずかっておりますので博多でさずかられたというわけではありません。九州に行く以前、聖護院横の積善院にもいらして、そこは准胝仏母のお寺で有名です。
准胝仏母は中国仏教で盛んに信仰されたのでそういう誤解が生まれたのかもしれません。
比叡山で礼拝を繰り返す行者を律僧と言います。豪潮さんもそういう行をされたようですので、「律僧」という言葉からどこかで律を受けたんだろうと思われた人が言い出したのかもしれません。
考えてみれば宗祖最澄さまは大僧戒を廃されたのに、それをわざわざ受けるなら天台僧でいる意味は薄いという矛盾になります。どうして具足戒を受けらえたのか?わたしもそこはひっかりました。
実は大乗戒を提唱する天台にも律の研究所はあり、そういうお寺を律院と言いました。
大乗戒には律はないのですが法華経の安楽行品と言うものがあり、ここから「安楽律」という法流はあります。
比叡山天台宗の参加にはほかにも修験道法流 玄清法流など多くの法流があります。
天台寺門宗の三井寺にも律を研究した法明律院があります。
むかし、真言宗の故 永田覚範大徳から聞いた話ですが律を守る律僧さんは、まったく異性と言うものに触れないため、声もだんだん中性化すると言われていました。
男性ホルモンが低減するということでしょうか。
それで不自然なことと思われたのかどうか・・・永田大徳は「自分は妻帯したが良かったと思っている」といわれました。
とはいえ、永田大徳ご自身は祈願の達者であり大変に行のありかたに厳しい稀有な方であったときいています。