家という概念が希薄になってきているが、家がばらばらとか、ろくなことがない家とかどんな人でもそういう場面では家を意識する。
「家」を豊かにするのは先祖の恩恵だ。
最近は家族をテーマにしたドラマも多いが、家という概念なくして家族はない。その逆もまたしかり。
先祖供養ということは太いパイプをとおすことだ。過去の先祖たちからの何世代もの恩恵を受けることができる。
いや、うちの先祖なんてという人がいるが…そんなの関係ない。
先祖に良いも悪いもない。
日本中が槍や刀で殺し合い、大飢饉にあえぐ時代もあった。
たとえ先祖に悪業を積んだ人がいても先祖供養で解消する。
というよりほかの手立てはない。
先祖の恩恵を受けることは先祖に恩恵を送ることと一つだ。
時代を超えた自分の命を祈ることだからだ。
ある意味先祖は「過去の自分」でもある。
お盆に一家で「夫の実家」に行ってお仏壇拝む子どもに「そんな変なことやめなさい」と制した嫁さんがいたと聞いた。
バカな女だ。
離婚になりかけているというが、一刻も早くこういう愚かな人とは離婚したほうがいい。
子供がかわいそうなどと言うが、こんな母親に育てられるほうがかわいそうだ。
この嫁さんだって先祖があるから今があるんだろうに。
だが感謝というものはしたことはないだろうね。
自分の命の運び手である先祖に感謝できない人は感謝ということが分からない。
ただ儀礼や社会通念で知ってるだけだ。
まあ、この人の親もそういうことを教えられない人間だったのかもしれない。
だがこういうパイプを埋まらせるような人間は家を滅ぼすといっても過言ではない。
もちろん問題は嫁だけではない。他家に嫁に行って夫が先祖にまるで無関心であればその家はほどなく衰微する。
そうなれば嫁さんが頑張って先祖供養するほうが子孫のための福田だ。
嫁ぎ先の先祖はよその先祖だが子供は自分の子孫だ。子供のための先祖供養。
うちは祈願寺だが、並行して菩提寺での供養はしっかりしておくことをお勧めする。
祈願・祈願といってもパイプの詰まった家では知れている。
受ける利益はあっても一代で終わりだ。子や孫にまでは及ばない。
先祖を大事にする家は先祖や眷属が臨終にみなやってきてにぎやかだ。
さみしい臨終にしたくないなら先祖供養。