昨日地方のお坊さんと電話で話していて出てきた話。
かってはそうとう栄えたある祈願寺で住職が病身で長らく供養法らしきものをしていない。
ついには病院生活に入るようになった。
それを幸い残った寺族がめちゃくちゃをする。
後任の住職も弾圧してお堂にも入れない。
そうになっても別段罰らしきものは当たっていないよう・・・・という話。
実はこうなっては本尊はいないのと同じだ。
思うに拝まないからかなり前から本尊様は眠ってしまったのだろうね。
こういう状況で眠ったら100年でも1000年でもちゃんと拝んでくれる人が出る前眠っている。
罰が当たらないのもそのため。
でもそれは幸いじゃない。
罰は悪業を積まぬための慈悲だ。
ようするに厳しく意見する親がいない子供と同じ。
喜ばしいことじゃない。
本尊さんも目が覚めたら古美術屋のウインドウにいたりして・・