受験シーズンになると知恵の仏様が人気。
中でも文殊様と虚空蔵様は知恵の仏として有名です。
どちらがよい?という質問。
どちらが良いはない。縁のものですが・・・
あえて言うなら文殊様の知恵は本来、定・慧といって定は座禅の三昧。
慧は座禅の三昧から生まれる知恵。その慧のほうを司る。般若智とも言います。
悟りの知恵とでもいうべきか。世間知とは違う。
でも同時に世間も活かせなくては、本物の悟りの知恵ではないですから文殊様で受験も当然良いのです。
維摩経に釈迦の十大弟子も一人としてかなわなかった維摩長者の病気見舞い、文殊だけが引き受けた。ほかのお弟子は怖くていかれない。
維摩経では文殊と維摩は言葉なくして語り合ったとします。
知恵と知恵同士の究極の語らいに言葉は糟糠のようなもの。
密教では文殊五十万遍という作法がある。
50万遍の真言を誦して仏の知恵をいただく法。
虚空蔵菩薩は福智のみほとけ。
衆生を豊かにする知恵。
ゆえに虚空蔵菩薩は宝部の代表的な菩薩です。
だからこれも受験に拝んでもちろん不足はない。
しかしながら文殊と同じ悟りの知恵でもある。
お釈迦様は明けの明星を見て悟られたという伝説がある。
明星は仏陀の知恵の象徴で虚空蔵菩薩の化身。
密教では仏智開発のために虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える作法「求聞持法」がある。
明星と書いて分解したら日、月、星と書く。
この世を昼夜なく照らす明るいもの。
要するにどちらが表でどちらが裏かでしかないので優劣はないのです。