金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

こころ揺るがぬこととは喜怒哀楽を感じないことに非ず

昨日コモンマーモセットのマドちゃんがちょっとしたことkら逃げ出して折から出てきたフェレットにかまれ大けがした。

今病院にいきましたがさあ、どうなるか・・・かなり重症。

今朝、よく動物の世話をしてくれている女性のお弟子さんが来てその話を聞いて

「今朝は法句経を読んでこころゆるがぬことを学んだのに…ショックでてしょうがない。ダメですね・・・」と言われた。

 

しかし、これはダメじゃない。

少しもダメではない。

心動じないというのは「感情を感じてはいけない」という教えではないんです。

親が死のうが子が死のうがなんとも思わないならそれは病気です。

逆に楽しい事。うれしい事があったら押し殺す必要もないんです。

そんな感情のない能面のような人形を作ることは仏の教えじゃない。

 

大事なことは泣いても笑ってもその時に必要なことがちゃんと遂行できるというただ一事です。

観音菩薩は大悲者という。

人間はもちろん、鳥獣魚虫も憐れみ給う。餓鬼をも憐れみ給う。

堕地獄の衆生も憐れみ給う。

涙かわく間がないのが大悲闡提の菩薩だ。

ゆえに濱地天松居士のおことばに「菩薩を覚有情と翻ずる。悟りてなお情けあるのが菩薩」といわれた。

衆生とともに喜怒哀楽の心を共にする。

喜怒哀楽を否定してどうして菩薩の道など歩めようか。