毎日拝んでいると仏様の表情は変わるなあと思う。
厳しい時。とてもお喜びの時などなど・・・
逆にいえばそういう表情が見てとれるお仏像はとても造形的に優れていると思う。
お顔が曇ると何かあるのかな?と思う。
ああ、このお経がお好きなんだなとも思う。
勿論心理的にそう見えるので物理的には変化するわけない。
ただそうした「心理的投影」はとても大事で、祈願の行く末をうらなうものでもある。
だからいわゆる精神医学でいう「投影」もあながち勝手な思い込みとばかりとは私は思っていない。
ゆえに行者は毎日、ご本尊のお顔を見てその心を知らねばいけないなと思う。
信者さんでも当院の十一面様において「お顔が変わりますね」という人はいる。
本尊が梵字の曼荼羅や宝塔であるより尊形であることのうま味はそこらへんにある。
動物の顔の尊天などはそこは少し難しい。直に感情で読まないと。
いわゆる霊感などもそうした投影の産物であろう。
ゆえにただの思い込みのほうがはるかに多いのは言うまでもない。