聖天尊にはよくあることだが些細なことでもお厳しいお咎めがあったりする。
其の厳しいお咎めは概ね行者の性格によるのである。
性格がきつい行者であれば尊天の御性格もそのように厳しくなり、温和であれば温順となる。
故に激しい性格の行者のもとで信仰すれば賞罰ともに激しく、温和であれば結果も緩やかなものとなる。
ただ、その行者の性格というのはすべてが外面でわかる部分ではない。むしろ秘められた感情に感応する。潜在意識と言っても良い。
ゆえにきつい性格の行者に見えて尊天は優しいこともあり、その全く逆もある。
見た目では簡単にわからない。
行者は日々、錬行し念誦していおればおのずから感応道交が起こる。
この時に本尊と一体化するので行者自身も本尊も似ていくが、同時に本尊もまた行者に似ていく。
開眼した仏像の個性もまたそうしたものだ。