父方先祖高橋氏にゆかりの宝滿宮 修験の霊場で玉依姫命を祀ります。
英彦山が胎蔵界、こちらは金剛界の霊場。峰は続いてないですけどね。
北九州の有名な修験のお山です。
私の父方は大友氏の配下で戦国武将・高橋鑑種ときいています。
系図もないから実際はわからんけど。(笑) 爺様の話だとそうらしい。
鑑種さんは大友宗麟が切支丹となって寺社を粗末にするというので不満だった太宰府天満宮と呼応して謀反に及びますが敗れてしまい、命は取られず小倉に流されます。
その後に大友の命で高橋氏を継いだのが立花家からきた養子の紹運さん。
島津の大軍を迎え撃って宝滿山の岩屋城で壮烈な討ち死にをします。
そののち大友氏は倒れ、鑑種さんの子供・高橋元種さんは大阪冬の陣、夏の陣で徳川軍に加わり武功があったそうです。でも先細りで大名家としては滅んでしまった
新緑の中を石段を踏みしめる気持ちのよさ。普段の日の昼間なのにお参りが多い。
ここが寶滿大菩薩を祀る社殿。ひらたくいうなら竜宮の乙姫さんです。
でも竈山というし、開山心蓮上人は寶滿山上で十頭の龍に賀した錫杖を持つ金剛神の示現を見ていますから、私としてはやはり元は三宝荒神の御山とみています。
巨木生い茂る境内
習合時代は中腹に別当大山寺があり。本持仏 十一面観音、毘沙門天、飯縄権現の三尊形式でした。
うちの三尊も実はそれにちなんでおります。
今でも修験者の入峰火渡りなどは神社協賛で行われています。
今でも修験寺院はあちこちにあると聞きました。
わが天台寺門宗と聖護院さんの行者さんが多いらしい。
駐車場からは遠く背振山がのぞめます。背振山は弁財天の修験霊場。