最近は少しでも市から得たらパワハラだとか言って騒ぐ。
寺に修行に来た僧侶でもそうらしい。
不幸なことだ。
かくして誰も叱らない。
怒るのと叱るのは違う。
教育というものは基本的に怒ってはなりたたないが叱ることは必要だ。
誰もイヤなことを強いられない。
それはそれでいいだろう。
だが修行というのは「ぜひ鍛えてください。」「厳しく指導してください」という前提で成り立つ。
だから師に対して「親切丁寧に教えろよ!」などという弟子があって良いわけない。
そういうところ勘違いする者もいるらしいが、うちはどこまでも昔風だ。
カルチャー・スクールではない。
とはいえお弟子さんごっこ、お坊さんごっこがしたい人もいる。
そういう人はあくまで弟子という名前の「客」だ。
そういう人は厳しい目には合わさない。でも最低限必要のことは言う。
お客様だもの。
だが本気で教えようという人間はもう決して客として扱わない。
これは何の世界でも同じだ。
師に近づくほどに段階的にかつ飛躍的にキツクなる。
キツイことも手心加えずに言う。ズケズケ言う。
不手際を叱責することもある。
なんの道であろうとそれが本気の修行というものだ。
それが嫌ならお客でいることがいいだろう。
お互いニコニコ笑って気分良くしていれば済むだけだ。
それで修行していると思えば自己満足で幸せ気分だ。
芸能人や人気猫のやる一日駅長みたいなものだ。
まあ、それもまた遊びとしてなら楽しくていいだろう。
教える側も本気でだれもかれも相手にはできるわけではない。
ほんの一握りだ。
だから、それもありだと最近は思う。(笑)