金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

師弟関係の難しさ


あるお寺でお弟子さんが、勝手なことを言って師の言を無視して最近はお寺にも来ないし、むしろそこを破門になった人と仲良くしていて寺に対して批判的なことまで言い出して困ったという相談を受けました。


わたしは「淋しい話ではあるが、そういう風では弟子本人がもう師匠に用はないということなのだろうからもう縁を切ってもいいのでは?」とコメントしておいた。
長年の弟子なのでそこはつらいものもあるようですが…残念ながら実質、師弟関係終わってるとお見受けしました。

師弟関係なんてものは弟子師匠の信頼一つで成り立つものです。
兄弟弟子同士が相争うという関係は師匠がなくなった後はままある。
でも師匠と弟子で対立や喧嘩してるなどというのはありえない。
敬意や恩が前提で成り立つ関係ですから。

蘇悉地経にいわく「師の短をみるなかれ。」と。
師匠の短所やあらさがしをしない。これは一番最初に教わりました。
正直「勝ってなものだなあ」と思いましたら即座に
「師も人である以上、間違いもある。短所もある。しかし、それで一々に師に疑いを持つことは法に疑いを持つことになるのだ。そうすれば法は全て用をなさない。」と言われ
「・・・・なるほど!」と思ったものです。
自然とあんな人間の教えたことなんか・・・となる。
 
だから敬意や帰依がみえないならもう師弟関係は破棄するだけです。
そもそも言い争いだの喧嘩すること自体、もう対等になってやることですから、そうなったら弟子でもなければ師でもないんですね。
袖引いて引き留める価値はないし、意味もない。

そういう言う状況下では、ましてや師がコイツがいないと困るなど都合を言うのはおかしい。そんな人間をいなくては困る存在にしたのは師たる自分の不覚であり間違いですから、早急に改め、困ろうが何だろうが事の整理をして縁を切る方向に動くのが正しいのです。

しかしながら、さみしい話だなあ。
人間の信頼関係も時間とともに去っていくものなのかなあ…私は実際の師匠である白戸先生もいれて多くの指導いただいた方々がいますが、この蘇悉地の教えを胸に入れてより、なにかが気に入らないからといってそういう方々に対し大声出したり、睨んだりしたことは一度もない。根底に敬意があればそれは出ないものと思います。
そうなったら・・・もう、その関係は終わったんですね。
後で謝ってニコニコしても本当はそこでもう終わったんです。
私はそう思う。

「長年の弟子ともなると今さら破門をいうのも変ですから…それは静かに話をしてそちらから去ってもらうべきですね。」といいました。

この話のあと、私も同じ弟子を持つものとして気分がいくぶん落ちこみましたが・・・
霊狐さんからは嗤われた。
「いい年をしてことのほかお前は幼稚な奴だな。
修行するものは年齢とともに人を見る目が肥えるのは当たり前だ。
それが若いころは見えていなかっただけだ。
問題のタネは昔からあるのだ。
なにかがあらたに起こったと見えるだけだ。
目が肥えれば今まで見えていないものも見える。
いままであえて目をつむり見ようとしなかった闇も見ざるをえなくなる。
されば離すべきは離すがよいのだ。
嘆くには及ばぬ。それだけのことだ。」と言われました。