比叡山で伝説の人と言われる阿闍梨様。
弟子が弟子を連れて挨拶にくると決まって「お前その弟子育てられるのか。最後まで?」と聞かれたという。
とても厳格で恐ろしい方だったと聞いているが弟子を育てるのに実に熱心な方だった。
信者より師弟関係を上に置いた。
昔は当然そうだ。いまの経済主流社会になってから多分に逆になっている。
実際、門下に多くの立派な方々が輩出し、私に浴酒をご指導いただいたT先生もそうだった。そういう方々はほとんど亡くなられた。
だが今でもその阿闍梨様のお弟子の流れは多いと思う。
師匠を師匠と思わぬ弟子もあれば、弟子を弟子とも思わぬ師匠もある。
本当の弟子などというものはそう軽いものでもないし、師匠はもっとだろう。
身元引受人か保証人程度にしか思わない師弟関係もある。
そんなのは実際は弟子でも師匠でもあるまい。
世の中には「弟子にしてくれと頼んだのに断った!」と根に持つ人もいるらしい。
この前そんな話を聞いた。
どれほど熱心に頼んだのでもあるまいに、いや、熱心に頼まないものほどそうだ。
昔は座り込みや再三の出直しは当たり前のことだ。
承認欲求が得られなかったので、自己を肯定するために「恨む」と言うだけのものだ。
そんなクダラナイもの弟子にしないで正解だ。