金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

謙虚さがない仏弟子は致命的


謙虚さのない人はいかに優れていても仏教者としてはいけません。
不足というより仏弟子にしてはいけない人格です。
信者としてもダメです。

この間こんな話を聞きました。どこのお弟子さんにもそう言う人がいるようだけどまだ駆け出しでの身分で上座の先輩弟子や住職をあれこれ品定めする。
なかなか大した度胸ですね。
あるお寺で得度させたらとたんに何かというと偉そうに人の事をあげつらうので思い余ってクビにしたというお話を聞きました。
昔、私の師匠寺にもいましたね。そういう人。
なんか勘違いしてるんだね。
謙虚さのない人はいかに教養があり、修行が優れていても仏法の器ではない。そういうのは注意してもなおらない。痛い目に合うまで。

どんな熱心な人でもそういう人が認めらる日は永遠に来ない。
何故なら認めたらその人の考えも認めることになるからですね。
結局その人もそういう結果になって寺を去った。
うちにも昔そういう人がいました。
弟子ではないけど弟子になりたがっていた。でもそういうところ見えていたので弟子にしなかった。
熱心なことは熱心。四六時中ついてきた、どこへでも。
でもそういう人はダメです。
しまいに特別扱いしないので腹立てて、うちをやめて師匠の寺に行ったけどそこでもはみ出して出てしまい、放浪してしまいに気の毒なことになりました。師匠は黙ってみていたけど彼の人物を判っていました。

師に習って私もそうします。
いくら頑張って努力している人でも・・・。謙虚ということは不可欠でほかに代替えのないことですので・・・
そういう方針です。

無駄骨、ご苦労様です。