最近のお葬式では珍妙なことが起きている。
たとえば「葬式のような儀式ばったことはいらないから戒名だけ欲しい」などというのはありえない。
昨日うかがった和尚さん。
知人の知人でそういう依頼があったとか。そんなのはダメですと言ったら・・・
そうしたら来てほしというが交通費と全部で5万円でお願いしたいという話。
「家計が厳しいのおうちですか?」といえば「そんなことは別にない」という。
「では、そんなお粗末なものではいかれない」と言ったそうだが、このように値切るのははっきり言って故人に失礼です。
これは故人のための喜捨なのです。
逆に戒名はいらないからお経だけ読んでは葬式にならない。
戒を授けて仏弟子にする。天台の教えではそれがお葬式。
そこは天台の系列ならどの宗派も同じ考え。
戒名は仏弟子の証です。
葬式に見えるように外見をまねてやりたいだけならCDでお経流して焼香だけしておけばいい。
うちの門下でお葬式しているのは一人しかいない。
それも聖天行者になるべく精進しているので、そうなってしまったら法事はともかく葬式はしない。
たとえしたとしてもするのも信者だけというのが師匠の系列の聖天供です。
でもお骨があずかれない。
私は信者も含めて葬儀に限っては全くしないことにしています。
水子さん・ペットも供養はしても葬式はしない。
八月のお施餓鬼にはそれでも多くのご回向のご依頼を賜ります。
でも私が葬儀をしないだけのことで決して葬儀をおろそかに思っているわけではない。
誰か門下に葬式できる人も必要だな・・・とは思う。