安倍氏を撃ち殺した山上容疑者の減刑運動があるという。
たしかに一面山上容疑者は歪んだ母親の犠牲者と言えなくはない
家庭環境的には少なくとも不幸な気持ちで過ごしたんだろうと思う。
本当は母に警鐘を鳴らしたいために安倍氏を撃ったのかもしれない。
母に振り向いてもらいたい。目を覚ましてもらいたい一心で。
だがそれは減刑の理由まではならないと思う。
生い立ちや環境がどうあれ犯罪に手を染めれば犯罪者だという大前提は大事にされなくてはいけない。
彼は関係がないとは言わないが、およそ関係の薄い、信者でも教団の関係者でもない人間を殺して報復としたわけだ。これが母を勧誘した信者を殺したとかいうならまた受け取り方は違うだろう。
生育環境をかわいそうだという思いもあるがそれ以上にその行為を憎むべきだと思う。
その弱さに憐憫をかけ注目するのは教育や宗教のすべきことで法律のすべきことではない。
わたしも宗教家としては彼を哀れと思う一面はある。
だが法律がそこに同調するのはおかしいし、してはならないことだ。
いっぽう減刑嘆願自体は自由な立場ですることだから何も問題はないと思っている。
加わる気はないがおおいにやればいいだろう。
実際、多くの犯罪者が劣悪な少年少女時代を過ごしてきている。
生来の異常者でない限りみなそうだろう。
犯罪者の若いころの話を聞いてみるとわかると思う。
だがその中から立ち上がった人だって少なくないはずだ。
少なくともなにもイヤなことがなく育つ人などいない。
みな自分だけが特別不幸な環境にあると思ってしまうのも若いうちの特徴だ。
だから何らかの生育ストレスを理由に犯罪を軽く見ることは断じて私にはできない。
死刑にまではならないと思うがしっかり服役してもらいたい。