講員様
「平素より大変お世話になっております。
東京の○○でございます。
随分前に黄不動様の掛け軸を頂戴して以来、
羽田先生の『読むだけで不動明王から力をもらえる本』巻末の次第で礼拝しております。
これは今年の春頃の話ですが、
人間関係の悩みなどをお不動様に託して拝むことが多かったのですが、ある時インターネットで急に
「敵意帰属バイアス」のページが開いたのです。
自分が何を検索してそのページを開いたのかも分かりませんが、自分自身の認知の歪みに気付くことができました。お不動様からの助言と捉えております。
お寺にお伺いした時に御礼・ご報告したかったのですが、コロナの件などありますのでメールにてご報告させて頂いた次第です。
ありがとうございました。」
羽田
「あなたは怒りやすいという欠点を持っているという自覚がいると思います。
怒りは自分が悪いとは思わぬからこそ湧いてくるので反省はできない。
怒りは一瞬で全ての努力を水泡に帰すことも多々あります。
釈尊が最も戒められたものの一つです。 合掌」
講員様
「お世話になっております。
ご指導頂き、誠にありがとうございます。
先生から成長したと思って頂けるよう研鑽致します。
近況を述べさせて頂きますと
新しい上司に引き抜かれてからこの半年、同僚にも恵まれ、色々な場所にも知り合いが増え、活躍できるようになってきました。
私自身も成長し、ミスを私のせいにされたりしても穏やかに対応できるようになりました。
妻とも仲良く過ごせています。
きっかけになったのは、先の黄不動様の件と
先生の4月頃のブログ記事です。
怒りを大事にするという内容のものでした。
私なりに、怒りそのものを武器のようなものと捉え、気安く構えるものではないと理解しました。
※ここから長文なので、ご相談として、また来談法等でご指導頂ければと存じます。
内容だけお伝えさせて頂きますと次の通りです。
ただ一つ、それでもどうしても怒りと悲しみを日々感じるのは今の社会全体のモラルの無さです。
仕事をしていると、官公庁・政治家・広告代理店との癒着であったり、縁故採用の役員のパワハラであったりを見聞きします。
また市井に目を移せば、ネットの中での悪質な転売や、街中での違法車両など、取り締まりが余りされないからという理由での酷い行為を見聞きします。
(街中については、さすがに最近はその場で怒らず私のほうが道を変えるようにしました)
こういったことについて、私には、社会に悪が満ちているように見え、激しい怒りと悲しみを感じてしまうのです。
私は怒り中毒になっていて、自分に落ち度のないことで怒って気持ちよくなろうとしているだけなのでしょうか。
それとも私の祈りは社会の不正義を悲しみ、全ての人が仏になることを祈る大慈大悲のあり方を目指しているのでしょうか。
(中略)
こうした謂れなき罪を着せられるのも、私のコミュニケーションが悪くてなんとなく味方にならなそうな人間に見えるせいというのもあると思いますが
まったく心外で、道真公をお祀りしたい気持ちです。
先生からは以前、
・目上の怒りは天災と同じ
・街中の悪人は貴方が裁く必要ない
と教えて頂いておりますが、
この悩む心はどうすれば良いのでしょうか。
この良し悪しを比較する心こそ無くせば良いのでしょうか。
長文となってしまい、すみません。
来談法等でまたご指導頂けましたらと思います。」
羽田
「悩みは失くすことはできない。苦のシャバですから。
そう覚悟することでしょう。悩みがあっていけないわけではない。
もっとも悩んでいる方は観音様です。
大慈大悲ですから。悩みはあっても質は変わっていくべきです。
人は成長するほどに自分以外の悩みは尽きないもの。」
講員様
「お返事頂き誠にありがとうございます。
救われました。
十一面様に帰依する心が強まりました。
ありがとうございました。」