時々、先生はご修行で妻帯しなかったのですか?と聞かれることがある。
そうではない。
ま、たしかに人を養うような心の余裕はなかった。
とにかくこの世界で生き残ることだけを考えてきた結果かもしれない。
失敗できない。
だが何の力もない私。勿論お金もない、これという才能もない。
行者で行く。そう決めた時にとにかくこの一事以外はすべて捨てようと心に決めた。
でないと無理だ。あれもこれもはできない。
失敗すれば何を言われるか分かったものではない。
親の後も蹴り、就職先も蹴って選んだ道だ。
そんなもので立ち行くのかとさんざんに言われた道だ。
親は師匠に私の行く末をどうなるのかと聞いたが師匠は「そのようなことは知らぬ」でおしまい。
こういう状況ではじめて行き詰まれば「それ見たことか、大バカ者め!」とは勿論いわれただろう。
やみくも必死だったし、正直今も必死だ。
だから隠密同心の歌ではないが「恋も人情も世間のことで…」てな感じだった。
だが、正直なことを言うと相談に来る方のいろいろな問題を見聞きしているうち、あればあるで苦労、ないならないで苦労。いや、むしろ昔からいない子には泣かないというから‥と思えてきた。
それに多くの信徒さんや弟子からは少なからず助けられてきた。
私の家族はないが、そこはありがたいことで心に不足はない。
子供のころはまだ理想の家族みたいな青写真がこころにあった。
子供のころ友達だった子の家が広くてお庭もとても大きくて楽しかったのでこんな家で一家で暮らしたいなあとも思った。子供は3人くらいいたら楽しいかも・・・と思っていた。小学生のころだ。因みにそのおうちの向かいの家は加山雄三さんのお父さん上原健さんの御屋敷だった。
だが、そんな思いも遠い子供のころの記憶、この道に入ってからはない。
この友達の家は有名なスポーツ雑誌の会社社長だった。
二人とも勉強はできなかったので2大バカと言われた。
その人はいないが無事社長を継いで頑張っているようだ。
後継のお子さんでもいればそろそろ世代交代かもしれない。
今更、所帯を持つ気はもちろんないし、なんの後悔もしていない。
淋しくもない。
たとえ犬でも猫でもいたものがいなくなれば淋しいがもとよりないものを淋しがりようがない。
どこでなにを聞いたのか「先生は不犯の誓い立てているの知っています。」と言ってきたバカもいたが別にそんなもの立ててなどいない。
飯綱行者だからそう思うのかもしれないが、立てても立てなくても結果は同じなのだ
一人で生きる。
何よりこれでよかったと思って密かに喜んでいる。
私の口の悪い友達は「羽田さんて一人なの?」と聞かれると「この人は性格が悪いんで人が寄り付かなんです。」と紹介されたこともある。
そこは客観的にはまんざら否定できないかもしれない。(笑)
だが、それでいいのだ。