金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

焦面鬼王のこと

台湾などでは施餓鬼に焦面鬼王という餓鬼の親方を祀る。

お像も龍山寺界隈で売っているようだ。この鬼王は恐ろしい餓鬼の姿であるが頭上に観音菩薩をいただいている。

 

つまり観音の変化なのだろう。

儀軌にはない尊格だが、観音がなぜ餓鬼に変じるのか。

実は私たちは福徳希薄な気の毒な亡者に施餓鬼をしてあげてると思いがちだが、本当の意味は施餓鬼は実はさせてもらっているということなのだと思う。

つまり観音がわざわざ餓鬼の姿に化身してまでさせたい積善の行いが施餓鬼なのだ。

 

似たような話が興正菩薩の名で知られる叡尊にある。彼は鎌倉時代・西大寺の僧侶だったが

絶大な法力を持ち、元寇においては石清水八幡宮で衆僧を率いて如法愛染法を以て蒙古退散を祈った人でもある。

結願の日、愛染明王の手にした鏑矢が音を立てて西に飛んで行ったとか・・・。

 

同時に叡尊阿闍梨は当時、非人と呼ばれた最下層にいた人々を救済すべく努力した人である。

だが、彼は決して哀れな境涯の人々を自分が供養してあげているとは思わなかった。

叡尊にとって非人は自分に善行を積ましてくれる文殊菩薩の化身に他ならなかった。

供養されるものは実は供養してくださる存在。

供養している自分は実は供養していただいている存在でもある。

曼荼羅世界は仏同士が供養しあう世界だが、真如の立場から言えば仏のみならず、すべての存在は実は供養しあっているというのが本当なのだ。

供養されるも、供養してあげるのもない。

それが本当の仏教の供養というものだ。