先日にひさしぶりにペットのお供養をした。
動物のお供養はやはり陀羅尼の方が良いと思う。
動物と言えども強く念が残る子は拝んだりすると施餓鬼に似てのどや首に何かひっかかるものを感じたりすることがあるものだが、陀羅尼を誦するにしたがって軽くなっていく。
陀羅尼は意味不明でも功徳があるから。
大乗経典も同じ「読誦大乗」の見地からは同じなのだが動物に話にわかるだろうかなどという疑念が障りになる。
読経を聞いても普通の人間だってろくにわからないのだが自分が唱えている意味位は導師は知っていないと何も伝わらないだろう。
そこへ行くと陀羅尼はもともと意味は分からなくてもOKだから一般の人が亡くなった動物に手向けるなら光明真言 大随求陀羅尼などが良いだろう。
これに対して私は極楽に鳥獣はいないというし念仏は動物に有効かどうかわからないから、せいぜい最後に十念して往生というより仏縁にしている程度だ。
昔は縁者に限って葬儀などもしたが最近はもう動物の供養や水子供養程度しかせず、後はお盆のお施餓鬼にお願いしている。
人の葬儀などは場合によってはその家の因縁のようなものが垣間見え、複雑な思いにもなることがあるが、動物の場合はご苦労様といって送り出すことのみに専念できるので気持ちは比べるに明るく楽である。
人間の葬儀というものはやり祈願とはまた別な意味で重い。
それでも死んでいながら飼い主のもとに甘えて居続けようとする犬や猫、動物たちをそこから放して次の世界に送るのは少なからず物悲しくもある。