本日来訪の宗教学者さんとの話で出たのが神託
奈良時代。宇佐八幡の神託で弓削道鏡は退けられた。宇佐宮は神託の神だった。
平安時代は熊野詣でも神託を聞くものが多かった。多くは死後の往生の可否であったらしい。
これが大体従来の日本の神託で国家のことを占う神、死後のことを告げる神。皆職分があった。地方の神社の神託は概ね地方の作柄や気候、疫病など。
村なら村の神託であった。神社神道は基本的にその地に密着している。
これが教派神道になってくると神託のスケールが全国規模になる。
多くは全国という統一概念ができる江戸時代からである。
これらは教祖が神がかりしてしゃべるもので、自分が神がかりして自分がそれを宣揚するという従来にない形であった。
そこに審神者というような取次役はもういない。
このスタイルはのちの新興宗教の原型である。
教祖たちは自分一人で自由にお告げを発し、その対象は汎社会的なものである。
最近亡くなられた新宗教の教祖さんなどは典型的で「霊言」と称するスタイルで社会をいろいろに発信していたんでしょうね。
そこで仏教との対比だが仏教徒とりわけ密教には託宣秘法という方法論があった。
神道は概ね、そうでなく血による継承だろう。そこは大きく違う。
優れた血筋が社家を務めそれを取りもった。
仏教の託宣秘法は血筋は関係ない。
だがそれが薄く成れば能力も薄くなると考えられた。
仏教は元来血筋とは隔絶した世界でそこは両者は対極にある。