違いを言うだけで差別発言だ!という恐ろしい世の中になってきた。
違うままに認めるのが差別がないことだと思う。
あり方は違って当たり前だ。
バリアフリー、考え方によってはあれだって差別といえば差別だ。
差別が即悪ではない。
差別すべきでないものを差別するのが悪だろうに・・・
差別言論統制の世の中になりつつある。
今に差別に対する秘密警察みたいのも出てくるね。
私はどこだかの学校の演劇界のように全員が劇の主役である「赤ずきんちゃん」をやるなどという発想は頭が腐っている人の考えとしか思えない。
オオカミはオオカミという役。御婆さんはお婆さん。漁師は漁師でなくてはならない役だ。どの役の人がエライなどということもない。どの役も演じる甲斐はあるのだ。
それが理解できないのはのは全員が総理大臣になるのが最高みたいなバカの考えることだ。
自分の子供が赤ずきんちゃんでないとかわいそう‼などという人の脳みその方がよほど可哀そうだ。
皆が赤ずきん(主役)になりたいなどという心を是とするのであれば永遠に真の差別はなくならないだろう。脇役も主役も平等だ。