つまらぬ原則論で人いじめなどしてははならない!
路上生活者から空き缶を奪うな!
市役所のエライ人でも、路上生活の人でも人に何の変わりがある?
資源ゴミなどより彼らの暮らしのことをなんとか考えるべきだ。
市に住む人は税金を納められなくてもすべて市民だ。
この人たちのことを一般市民と別に考えるのは厳密にいう一種の「差別」にあたるかもしれないが「必要な差別」だ。
私の持論
「不当な差別」つまり差別を理由にした言いがかりやイジメが悪であり、「差別自体はときに必要」と思うのはそういうことだ。
そういう意味の「差別はありだ」というのが私の意見だ。
江戸時代のお奉行様の「おかみにも情けはある」と言うのも一種の差別だ。
箱根の関所は超えたものは死罪だったが、あきらかな関所抜けもその多くを「道に迷ったのであろう。迷わずもどるがいい。」と放免したという。
差別ナシをいうなら全員死罪だ。
人が政治をせず原則論でする日本。
責任をかぶらずに…ということばかりをいえばそうなるが、それが日本の最も悪い点だ。
責任逃れと扱いの差違にヒステリックなひがみ根性の国に堕している。