金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

異教は否定しても人は否定せず

アフガンではイスラム法をたてに暴力行為が進んでいる。

イスラム法がどんなものか知らないけど私はイスラム教に良いイメージは少ない。

いろいろ宗派はあるし考えも違うのだろうが・・・

タリバーンは特別なのかもしれないが、他にも女性はブルカを着ないといけないとか、犬の存在は悪だとかいう教えは私には理解不能だ。

フランスの様にブルカ禁止というのはどうかと思うが・・・宗教は人の自由だ。

押し付けるのも否定するのも反対だ。

イスラムほどではないが同じセム族系の宗教であるキリスト教も私にはそうだ。

宗教差別?

宗教が違えば自分の信じる教えが一番だし、相反する教えは受け入れられない。

当たり前のことだ。

 

それが宗教だろう。

だから基本クリスマスカードなどいただいても礼状は出すがクリスマスカードとしては一切出さない。

出さない理由の一つは、むしろキリスト教を宗教のひとつとして尊重するからだ。

尊重するからこそ世間の習俗に堕した扱いはしない。クリスマスツリーなど置かない。

寺に来るのに十字架のネックレスを下げている人にはクリスチャンならいいが、そうでないならそれは宗教的なもので飾りでないとくぎを刺す。

私はクリスチャンではない。

唯一絶対の創造主も信じなければ、動物にも霊魂はあると思っている。

人間の魂は輪廻する存在ではお墓の下でハルマゲドンを待つなどとは思っていない。

ましてや原理主義者の様に七日で天地が創造されたとは想像だにできない

 聖書にはよいことも書いてあるが信仰はしない。神のみ言葉とも思わない。

 

だから私個人においてはキリスト教は仏教と同列にはならない。

クリスチャンから見た仏教も同じことだろう。間違った教えということになる。

そこに何の異論もない。

 

「そんなの宗教差別だ」という方ははっきり言ってバカだ。

自分に特定の信仰があり宗教に違いがあれば取捨選択は当然だ。

  ただ密教では三昧耶戒で異教の神自体は実類の神霊として敬意を表することになっている。もちろん教義は信仰はしない。

人間も動物も神々も悪魔でさえも仏性から漏れる存在はないからだ。

 

問題は宗教は差別しても信じる人間自体は同じ人として尊重し差別してはならないということだ。

なんでもかんでも差別だと感じる人はそこがごっちゃになっている人がいる。

頭が混乱してる。