大部以前に「キリスト教のお葬式に行かないといけないのですが、その場合どうすれば?」と聞かれたことがあります。
その方はうちの信徒さんでした。
まあ、行けばどうすればこうすればはあちらさまで教えてくれるでしょうし、僧侶の私にそれ聞くのも変でしょうけど・・・。
「まあ、数珠はいらないし、合掌、焼香とかもないよね・・・のし袋の表書きはお花代とか書くようです・・・」といいかけておもった。
でもなぜ、ここにてにわかにクリスチャンの真似事するのだろう。
私もなぜそれを教えているのだろう。
勿論やかましく考えずに真似事したってしたけりゃいいけど、たとえば自分ならどうなんだろうと考えてみた。
私自身はまあ、宗教家の端くれです。
その仏教家が教会行ってクリスチャンの真似事はおかしいよな・・・
私も教会に頭下げることはある。
密教の三昧耶戒では異教の神も敬意を表せよと言うから。
でも低頭合掌であくまで仏教式です。
すべてを包括してアビラウンケンと唱える。
まあ、キリスト教の葬式でも私においてはそれでいいのではと思う。
そんなこと失礼ですか?
まあ、失礼な印象ではあるけど、自分の宗教を引っ込めることなんてよその国の人はしませんよ。
わたしがお参りに行く会社に当時、イランの人たちが大勢働きにきていた。
その人たちもお不動さまのお祭りで列席はして、お祭りの後皆でお供物などつまみはしたけど拝みはしない。多分おつまみやおやつが欲しいんで並んでたんだね。
勿論それでいいのだと思った。
彼らはイスラムなのだから当然だ。
こんな例もある。
以前、排他的なある新宗教の人がわたしの恩人の奥様が亡くなり会葬した。
でも合掌も焼香もしないで帰った。「なんだアイツ」と言う疑問に思う人もいた。
まあ、此れじゃ何しに来たのわかんないけど自分の宗教を貫くという筋を通したんでしょうね。
でもそんな風ならいっそお志だけ包んで会葬にいかないというのがスマートだと思う。
葬式は顔見世じゃない。祈りの共有の場だ。
だってほとんどの葬式は宗教儀礼ですからね。
自分とは全く相反する宗教を信仰していて実質その場を共有できないくらいなら参列するのはおかしいでしょ。
直葬以外の葬儀は礼拝を必ず伴う。
仏教の宗派は多いから仏教同士なら一応はおおまかな習慣は同じだし、神葬祭でも神道作法はお宮参りではしてるんだから抵抗はないけど、全然違う宗教や新宗教なら「宗教が違うのでお葬式は参加できないのでお許しください」はありだと思う。
立ち会うだけの結婚式とかならなんの宗教でも構わないけど。