世の中全体が詰まらない。
こんなこと言ったら批判されるとか、非難されて炎上するとか。こんなこといったら皆さん賛同して「そうだそうだ」と言ってくれるみたいなことばかり。
承認欲求の世の中。
SNSでは特にそうですね。
自分が本当に思っていることを言わない人には当然ながら迫力はない。
言っても言わなくてもいいようなことを言って安心を確かめたいのかもしれないが。
T V ドラマの筋もこんな筋にしたら非難されるとかいう感じで、わかり切ったテーマのわかり切った落ち着きどころしかない。
こう言っては失礼だがテレビの水戸黄門シリーズみたいに印籠が出て、悪人バラは驚き慌て、もし狼藉に及べば助三郎と角之進がそうした悪人を懲らしめて、悪しき政治で困窮していた百姓町人が黄門様から優しい言葉をかけられて感謝し安堵する。
聴視者はそれ見て安心するみたいなもの。
そうでないと安心しない。そうでないならおそらく聴視者から苦情が来る。
だがそこに意外性が全くない。
意外性がないから安心してみていられるのだ。
それと対照的に50年も前のウルトラマンが今だに語り草なのは最終回で怪獣に負けるからだ。
何も過激なことや無茶苦茶言うのが価値があるとは全く思わないが、無難なことだけしか言っていない意見だとすぐに裁かれる。それをなによりも恐れる!
そうした一種の言論統制社会が自然にできつつあるような気がします。
それはモラルの向上の結果ではなく一種の恐れだ。恐れの社会だ。
つまり単なる承認欲求の産物のような気がする。
ご存じの方もいるだろうが会議のやり方で「ブレインストーム」というのがある。
意見の出し合いだが相手の意見の反論否定を言わないのがルール。
それでも自然とまとまっていく。そこには実は否定でなく肯定の意識が働くからだ。
今の世の中は悪くすると否定を取り除いたカスみたいなものしか出てこない。
そういうところに生き生きとした民主主義はあるのだろうか?