今日で三座目。
今回は前回私的に修したときと違い結構今回はとてもスムーズに供養できます。
何が違うのかといえば前回は色々変えてしまった。
天蓋をさす供物のごはんがインスタントご飯でした。
偶々、初日に焚いた新しいご飯がなかったのでそうしましたが・・・
これカビも生えない、つまり餓鬼も食わない。
後でやはりインスタントご飯つかった弟子がいて「それ。私もやったらダメでした!」といわれた。
あるいはご飯の質よりそういう安易さが嫌われたのもあるのかもしれません。
やはり新たに炊いて臨まないとダメなのでしょう。
餓鬼はひがみやすいので極力尊重して餓鬼ファーストでないといけない。
そこに抵触したのかな。
それとその時は天蓋や如来幡の色を故意に変えました。
これも良くなかったと思う。
精霊供養は修験道の五大明王の色を踏襲しています。
つまり陰陽道でいう五色です。幡や天蓋がいわゆる密教の五部の色と順序が違う。
弟子で通常の仏教で行う施餓鬼の如来幡と色の順が違うのを指摘してきた人がいて、改めて調べるとその時は「なるほど…違うかもな」と思って伝授されたものと変えてみました。
果たしてその何が作用するのか、しないのかは正直わかりません。
しかし、やる前に大森先生と天蓋や如来幡の色について話をしたら「それはそういうものでしょうから変えないほうがいいのでは?」ということでした
果たしてそうだと思う。
安易に自己の知識を持って法を変えるなという大原則を破った。
大森先生は日頃、如法ということを大変大事にされるので「この人にしては変わったことを言う」と思ったのですが…天は人をして言しめるということなのかもしれません。
結果あまりうまくいったとは思えない。
餓鬼がお供物にご不満だと専らお経を取りにかかるのでのどに手を突っ込もうとする。なので喉が詰まります。声が出ない。手を突っ込んでとれるもんではないけど餓鬼にはわからないらしい。
霊感の強い体質だと人によっては全く声が出なくなる。
取り付け騒ぎのように押し寄せてくる。
その時はそんな感じ。
音源を動物が気にするようなものですね。
雑霊が多いところで読経すると同じ感じがします。