羽田談
昔、画家でもあった林天朗居士が師匠の濱地先生に観音菩薩を絵に書きたいと思うという話をしたら、「君、慈意妙大雲 悲体戒雷震というのが観音様だよ。そこをうまく描けるか?」と問われて、ついにかけなかったという話をしてくださった。
上の言葉を解するがごときは観音様は甘いばかりでない、言ってみれば人生の喜怒哀楽、紆余曲折をそのまま観世音ととらえていた天松居士だからこその言葉だと思います。
観音信仰とは生きていることをそのままそっくり観音様に預けて生きることなのでしょう。
その思いが深ければその人の信仰もより深く味わいの深いものになろかと思う。
それでこそ観音菩薩は地上に降り立つ。
現実逃避の信仰など何の役に立つだろう。