羽田談
天松居士は弁護士であられた。それも政治犯専門だったと言います。
弁護士は戦いの仕事であります。
銃や刀は持たないが法廷という場で人と人が相争う波風の真っただ中でする仕事です。
だから敬虔な仏教徒であった居士は,そういう係争的な仕事をする上でも思い苦しむことも多く、矛盾に悩むこともまた多かったのではないかと思う。
居士はそんな中、自分の仕事をば観音菩薩の仕事にすべく刻苦精進せれたのであろう。
是非は最終的には自分でなく観世音の仏意によるものでなければと思われたに違いない。
南無観世音菩薩。