昨日あるお寺さんと会食談義で出た話。
境内地にペットの納骨堂とかは立たいのだが、扱いはふつうの納骨堂といっしょなのか?
どういう許可がいるのか?
どうだかしらないが「納骨堂」というなら所轄の行政に一度相談しないといけないのではないか?という話をした。
後で許可できないと言われては困るでしょう。
あるお坊さんが独立してペットの焼き場と霊園をやるつもりが住民の反対から不許可で挫折した話も聞いた。
以前は一般の焼却施設と同じ扱いだった動物遺体の焼却でさえそうだから、普通に霊園を建てるのはいまや至難のわざだ。
ペット霊園はともかく思うに墓は死ねば自分たちも行くところなのに反対するのはおかしいと思うが、これもひとえに現代にはびこる物質偏重で精神文化や宗教を軽視する傾向の現れだろう。
これからの先祖供養は夫婦別姓もあり危うい限りだ。
ひとによっては私は配偶者と姓が違うから同じ墓にはいらないので。管理も知らないなどと言うことは当然言い出すだろう。
前途多難だ。
これからはもうお骨でなく位牌中心で行くほかないだろう。
すでに石材店の主な仕事はお墓の造営からお墓の破壊つまり墓じまいに移りつつあるという。
最終的にはお骨は公営の大きな供養塔にでも納めるほかないだろう。
死ぬ人の方が生きている人より多いからお墓を作り続けるのも無理だろうし。
私はお骨自体は灰になるまで焼いてしまい山林や海洋散布が良いと思う。
抑々お骨信仰のルーツは釈尊の舎利信仰だ。
少なくと私個人の思いは釈尊に比べるべきもない私の骨などどうでもいい。
肥料になろうとドッグフードになって犬の糞とか化しても一向構わない。