金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

けったいな電話

留守中けったいな電話があったという

「4,5年前に祈祷を頼んだのだがお札だがついていない」という。

電話番号があり連絡ほしいというのでかけてみた。

「お金をはらったのについていないのですか?」

それなら返金するか、遅ればせながら送るか希望されているほうをとるほかない。

だが、この人、当院の長年の依頼記録には一切ない。名前もない。記憶にもない。

で、「お金は払っていない」という。

じゃあ、それも四、五年もたってから一体なんなのだろう。札が来ないという文句ならもっと早く言うべきだろうに。

何の祈祷を頼まれたのか聞いてもそれもよくわからない。

しまいに「どうなさりたいのですか。お札が来なかったと言いたいだけですか?」とつっこむと、古いものを整理してたらそういう記録が出たとか。なんとか・・・それで結局「そうです」という。

「失礼ですが当方も記録がないですし、私もお名前は初めて伺います。お金も頂いていないなら、なにも責任はありませんので失礼します」と切るとまたかかってくる。

私の名前を聞いてくる、教えたらまたかかってくる。

用件は名前の確認だそうだ。

 

こういう時、最後までおとなしくは聞いていない。

「あんた、なんなんですか?いいかげんにしてくださいね。大体、四五年もたった昔のお札の話をすることすらおかしいでしょう。あなたは頭がおかしいのか。被害妄想かなんかじゃないんですか。

迷惑だから二度とかけないでください!」と言って切った。

 

 

病人なんでしょうが、こういう場合に私は全然優しくないです。

腫れ物に触れるようになだめたり優しくすれば病は深くなるのが関の山だ。

関わることでなにもできないし、かえって悪くなると見るや即座にバッサリ切ります。

他の場合もそうです、ダメだなと判断したらばっさり切る。

恨まれようが他人がどう思おうがそんなことは二の次、三の次です。

多分この方は被害妄想と言うのが近い線だろう。

このやり方「酷い」と思う方もあろうが経験からこれが正しいと思っているんで改めることはしません。

稀に私をして「こちらの先生はお優しそうですねえ…」という人もいるが、「え?どこが…」と古い人は皆思うだろう。

そうだとしてもそれは面の皮一枚だけのことだ。