金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

変なものは変は大事な心

統一教会はキリスト教系の邪教。

だからメシア信仰はある。

そのメシアを待ち望む心が付け入られる。

「ああ、この人なんだ、この人がメシアだ!」と

 

人間釈尊は自分を崇拝しろとは言っていない。

「自らを灯明とし、法を灯明として生きろ」というのみだ。

今の新宗教の多くはイキガミ信仰だ。

この間なく案った金殿玉楼に住んでいる教祖様は釈迦の生まれ変わり。

釈迦は金殿玉楼の王宮を捨てて道を求めた人なのにねえ。

教祖様はこの世の神様。この世の釈迦、この世のキリスト。

そんなバカな?と思うのがまともな人だが、話を聞いたりしているうち「そうだ、そうに違いない。」と思わせる。

それが新宗教のテクニック。

 

だが言っておく。釈迦もキリストも自分を崇めろとはいっていない。

人間が他人を崇拝し人生を全託したのではその人のいる意味はないことになろう。

それって変だなと思っても話を聞くと丸め込まれそうになるが、変なものは変なのだ。

小難しい屁理屈より率直な感じを信じるのだ!

いつもそこに立ち返れるのは大切だ。