金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

延命十句観音経講話 5

念念従心起 念念不離心

 

信仰しても疑問はいつまでもなくならない。

なくなったというのはそういうことにしているだけだ。

さらに面倒なことに頭でわかったと思ってもわかっているとも限らない。

疑いの中の信仰。

それでも続ける信仰。

それが「念念従心起」

 

理由はなぜか?信じたいから。

 

それ以外ない。

人を良く知らない。本当にはわからない。

でも信じたい

それに似ている感情だ。

 

「そんなのアンタが信じたいだけでしょう?」といわれてしまうかもね。

まさにその通り!

突き詰めれば他には何もない。

仏にいて欲しい。

観音様にいて欲しい。

それはとりもなおさず救いがどこかにあってほしい。

救おうとしてくれる存在にいて欲しい。

そういう心だ。

 

かくしてはじめて真の信仰に到る。

疑って疑って雲が切れる。

そこから起こる疑うことへの疑い。疑いへの放棄。

それは頭で分かろうとすることへの疑いだ。

そうやっても答えなんかでない。

どんなに頭が良くても次元が違う。

信仰は知的理解を超えた世界にある。

だからいかに論議してもそんなのは本当の本当は関係ない。

 

だって観音様を捨てられないもの。

祈る以外ない。

それが念念不離心。