金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

死について考えることで

昨日は八代亜紀さんの訃報を聞きました。

声がでなくなったなあ・・・

少し見ないな・・・と思ったら早かったですね。残念なことだ。

タロットで出た今年のテーマは「死」

ひとごとではない、自分が死ぬかも?

別に全然ありえなくない。

死はいろんなかたちで来るもの。

なにも年齢だけとは限らない。

news.yahoo.co.jp

でもこの世を生だとして別な世界を死だと思えば死は生に比べてずっと長いよね。

若し死んだらそれまでなら半永久だ。

まあ、もしそうならそれもまたいいかもね。

ほとんどの現代人はそう思っているかもしれないけど。

古代のインドの考えでは「転生」が苦だった。

つまり生存は苦なりというのは仏教以前からの古代インドの共通概念。

それで、お釈迦様も二度と生まれないでいいための工夫を考えた。

原始仏教のテーマはカルマの絶滅。

だけどカルマのない人はいないからこれは理屈で言えば無理かな。

それでよいカルマの先に仏教を置くのが大乗の考え。

上求菩提下化衆生だ。

まあ、とにかく死は来る。

誰でもまちがいなく来る。

皆嫌がるけど大事だ。

私たちが地上にいるのは本当は一瞬のようなものかもしれない。

上杉謙信は辞世の歌に「四十九年 一睡の夢  一期の栄華  一盃の酒 」とうたった。

過ぎてみればそんなものかもしれません。

そのころに比べれば私など十分に生きたといえよう。

いわゆる死んだら跡がどうとかの終活でなく、死ぬと考えることでなにかが変わる?

死をことを考えておくことで生も変わると思うのです。