ここ最近、残念なことに聖天様の歴史ある寺院で魔事が起きていることをよく聞く。
無理な経営拡大や後継者問題の騒動など人間の我欲で聖天尊の存在を無視して寺を左右されることをおおいに嫌うのが聖天様という存在だ。
それぞれ言い分はあろうが聖天様を舐めてかかるとはそういうことだ。
そうなると容赦はない。
寺院で聖天様の一般祈願を始めたらそれを続けていくのが鉄則だ。
いかに儲からなくても応分の信者ができるまで拝み続けることだぇはやめてはいけない。
逆に他の営業で儲かるからと聖天尊の供養を放棄したらそれもおおいによくない。
ゆえに聖天祈願寺の住職にその覚悟が必須だ。
ただし、この場合、聖天様がいらしても寺院護持のための存在か、信徒の祈願をしているのかでは大きく違う。
寺院の護持のために安置されている聖天尊ならそういうことはそう激しくはない。
だが聖天様の祈願寺となると聖天尊を大いに怒らせる羽目となる。
「一体だれが主役なのかをお前は忘れている!」といわれるのだろう。
場合によっては寺院にとって壊滅的なこともある。
聖天様にとって寺などどんなに大きかろうと寺は自分の容れ物に過ぎないのだ。
気に入らねばたたんでトットと出ていくくらいのいつもりなのだろう。
聖天様が出ていけば寺はつぶれます。立派な尊像や円壇があっても真実の意味でもう働かない。
そのくらいのことは聖天を年来、真剣に拝んでいる行者ならだれでも感じているのではないかとは思うが・・・