暦の上ではもう秋。
今年になって春にレンちゃんが亡くなり、18日にウシが亡くなったが、なんとなく・・・人間界でもいろいろな人ともお別れが予感される秋だ。
先日、老人ホームに行くから、もう仏像をおさめたいと言っていた講員様、僧籍も返すというので、「僧籍は運転免許ではない。年を取ったから僧籍も還すというほうがあるか。不届き者め!」と叱った。
でもどうしてもというので僧籍は返上しないまでも仏像はもって来る予定にしていた。
だが、そののち、にわかに大きい問題が起きてホームにいくどころの騒ぎではなくなったようだ。今は返すはずの仏像に必死に祈っているだろう。
勿論それも祈願中だ。
祈願行者の道から離れ、結婚して主に葬儀などをする滅罪寺院の道を模索し始めている弟子もいる。それもまたよしと思う。
生きたいように生きればよかろう。止めなどしない。
止められるものなど何もない。
まあ、観方をかえれば実りの秋でもある。
別れも果実であり、ひとつの実りだ。
宮本武蔵は独行道に「いずれの道も別れを悲しまず」という。
そうあるべきだと思う。止められるものがない以上、悲しみなどは無意味だ。
・・・玉龍弁才天様を拝みだしたら何かが底辺で大きく変わろうとしているようだ。
拝んでいると頭がなにか冷えてくる。ものやひとの本当の姿が見えてくる。
弁才天は知恵の仏。愚かな私も何かが少し変わるのかも・・?