映画「進撃の巨人 最終章」を見ました。
劇中、エルディア人の共通意識の世界でハンジにあとを託された調査兵団の新団長アルミンが語りかけられる場面。
「すべての生き物が生きる。生きていきたいということは増えていきたいということ。
石や砂は増えない。」
これはまさしく生物学的には正しい。
LGBTが社会性を得てきている現代だ。人間社会や文化の中ではそれでいいと思う。
だが生物学的には増えない人は生えたら枯れてしまいの花実のない植物と同じだ。
未婚で子供のない私もその部類だ。
人生の価値観はどうでもいいが生物学的には続かぬ生命は負け組だ。
それを言うと差別だという人は救いがたいバカだと思う。
だって事実だよ。
そして「だが、それがそんなに大事なのだろうか?君は増えたいと思うか?
人は生命を終わるとき、むしろ、ほっとするかもしれないのではないのか。」ていう言葉がかえってくる。
永遠の消滅は上座部仏教の理想。
何かそんな感じが共通する。
実は誰の心にもそれはあるのかもしれない。
絶対の消滅へのあこがれが。
このアニメの題材は戦争、民族紛争だ。
生きたい。生きていきたい。生き残りたいが故に殺す。戦う。全滅させるということの命の矛盾ともいうべきことに尽きる。
だが命とはもともとそういうものかもしれない。
これは極めて宗教的ではないかもしれないが現実を観なければ誰も何も得られない。
そういうごまかしも不妄語戒の対象だと思う。
本当でないといけない。
本心でないといけない。
私はそうありたいと思う。
だから人が聞いて驚くようなことも口に出す。