進化論はまちがっている。
勿論神学的な意味で言うのではない。
19世紀、英国の生物学者チャールズ・ダーウィンの「進化論」は生き物の環境適応の進化から新しい種類が生まれると説くものだが、今日では生物学の観点から多くの矛盾が指摘されているのだ。
- カンブリア紀の生物の急激な増加(カンブリア爆発)を説明できない

- 突然変異によるコピー・ミスが優れたものに進化しているのはおかしい
- 不利な形質も残っている
- 中間段階の化石が見つかっていない
- 生きた化石と呼ばれる生物が何億年以上ほとんど進化していない
私が進化論は違うなと思う理由は、例えば魚が寄り海中に適応するためのモデルに向かって進化しているなら、どんどん無駄な種類は減って最後には一つの形態になるはずだろうと思うからだ。
だが、そうではない。
実際はありとあらゆる種類の魚がいる。
一見、生きて繁殖するのに機能的でないような魚もいまもって存在している。
進化論は生物の多様性を説明できない。
鳥 獣 魚 虫、植物 すべてもそうだ。
人間もその多用性から生まれた存在だ。
まったく特別な生き物とは全く思っていない。
いうまでもなく、私は人類は宇宙人や神が作ったものとも思っていない。
キリスト教ではすべての生き物は人間の支配下にあり人間の為にいるそうだが、では人間以前の恐竜や三葉虫は何の為にいたのか?
古生物学を否定しない限りカビの生えたナンセンスな考えとしか思えない。
生命には内包する多様性がある。
それは生命の試行錯誤的なものではなく表現である。
古生物が現代の生き物に比べて劣っていたわけではないだろう。
人間で言うなら芸術性だ。
命の芸術から生き物は生まれている。命の曼荼羅だ。
芸術は人間の頭にあるのでなく生命に内包されているものと私は思っている。
人間の芸術もそこと無関係ではないと思う。
そう考えるなら自然界に最高の生き物などいない。
最高など求めているのは人間の持つ価値観に過ぎない。
自然界にはない。