羽田談
この話、私はそう意識していないらしいけど、周囲はそう感じるようです。
振り返ってみれば、わが師匠も浴油の間はきつい面と優しい面がはっきりと分かれて、私の先輩だった霊能者のNさんなんかは、浴油中にいつになくきつく叱られたりすると「今日は先生、大自在天だわ」逆に優しい対応だと「今日は観音さんやった」とかという表現を良くしたものだ。
信貴山の野澤密嚴猊下も双身毘沙門天の一千座の浴油修行をし出したら どういうわけだか、精神がピリピリして周囲のもんに怖がられるようになったという。
小僧がぐずぐずしているといつになくきつく叱り飛ばしたくなる と語られていた。
思うにこういう天尊がらみの感応で叱ると言うのは長々ぐずぐず言うとかはない。
その瞬間において語気鋭く荒くものをいうのだと思う。
後はいつまでもムカムカと尾を引いて怒っているというのはない。
だからそれは実はおもに天尊が叱るのであり、行者が怒るわけではないのかもしれない。
後、生き物はよく死ぬ。
人の祈願の裏にはいろいろな思惑や事情が存在する。
施主の祈願もそうだが、祈願の成就を邪魔しようとするものもそう。
あくまでイメージだが色々な業や念が飛び交って戦いの大きな渦のようになるのだと思う。
油断していたり小さな命は巻き込まれるのだろう。
気の毒だが現実にそうなることが少なくない。
どういう訳か「猫」だけはそういうものを比較的受けないようだ。
聖天さんはそういう事情を扱えるからこそ、余尊の良く及ばない難しい祈願も叶うと言われるのだろう。
浴油供養自体は好きだし、さほどつらく思うわけではないが、そこは心底怖い事と思う。
この渦に行者自身が渦にの呑まれないよう精進しなくてはいけない。
私の師匠も本人的には元気なのだそうだが浴油中は顔に深いひびの様なしわができるほど衰微してみえた。
聖天浴油のまことの怖さはそういうところにあると思う。
古来、聖天行者は独身で妻子を持たぬほうがよいというがそう言うことだろう。
ある聖天行者もお子さんが小さい内は浴油中にはいつになく夜泣きしたり病がちでそれが一番つらかったと教えてくれた。