夢で教えられたつづき。
歓喜童子というのは子供の姿
子供だから分別なく素直に大人の言うことを聞く。
この段階は無条件なんだという。
願いは1000万円欲しいでも一億欲しいでもいいのだろう。
それはどんな願いをかけてもお童子さんは拒みも否定もしない
「わかった・・・」といってお童子さんはそれそのままを聖天尊のところへもって還る。
それを分別するのは聖天尊だ。
ここでは十一面尊の菩薩の目と歓喜天の護法神の目で厳しい分別がされる。
ダメだとなると受け付けない。
直に不届きな願いを再三しつこくすれば場合によっては天罰も下る。
即ちこういう聖天尊の難しさは一般の人がそのまま直に接しては難しいレベルなのだ。
ただの御利益ほしさだけで祀れば、遠からずまちがいがおきる。
ひとによっては僧侶であっても近づくのさえ恐れるのが聖天様。
ある有名寺院で信徒レベルで最初は無理して尊像を祀っても最後にはすべて寺に帰ってくると言っていたのを聞いたことがある。
専門の僧侶のみが対峙すべきお方なのだと思う。
聖天様祀るなら歓喜童子にして置くのがいい。
十一面様は比べるとかなり厳しいと思う。峻厳で清冽な方だ。
昔は聖天様を信仰してすべての願が叶った方が最後に欲願を離れて自らの功徳のために祀ったものだと聞く。
※ 写真は春日部市の上願寺で出しているご分霊の歓喜童子
