「象王権現の本地は釈迦如来である。 摩耶夫人の胎内に入った時、白象の姿であったので象王と云う。
その本地を尋ねると大日如来である。 普賢観経( 観普賢菩薩行法経のことと思う )によると、釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と称する。 その自性輪身は十一面観音である。その教令輪身は愛染大明王である。その垂迹は麁乱神である。大魔王となる時は常随魔である。煩悩となる時は元品の無明である。総じて九億三千四百九十の王子眷属がいる。夫婦合身の形で象頭人身の体である。荒神として顕れる時は一面三目で二足の姿である。」
聖天様と蔵王様は全然違うんですけどこの記述の限りではすごく関係があるということです。
そうでないと三尊祀る意味が今一つです
さっき、このブログを読んだという方から面白い話がありました。
近所に「聖天の森」というのがあるそうです。だけど聖天様がいないで、お寺には大日、不動、愛染がお祭りされているそうです。
そこから考えると、あるいはこの三尊を神道集の教えのように聖天様の本地として祀ったものかもしれません。この方はブログを読んで長年の謎が解けたと感じたられたそうです。
面白いですね。