いままでに新宗教の体験に興味があるので行きたいという人が時々ある。
例えば七日間で三昧発徳して極楽が目の当たりに見えるとか、みんなで金星の霊的世界に飛来するワークとかいろいろある。
「行ってみたいんですが…」と言われると「やめろ」と言ったことはない。
ただ、「そう、行ったらいいよ。だけどもう戻ってこないでね。」とは言っている。
ハッキリってここでは不足があるからよそに行きたいのだからそれでいいだろう。
宗教にお試しコースなどない。
「ここは絶対やめないですからよそにいってきていいですか?」という人もいるけど
「いいえ、そんな必要はないです。遠慮なくやめて行ってください。構いません。」と言っている。
本人が必要のないと思うことをいつまでもやっている必要などない。
ましてや私自身、拙寺が一番素晴らしい処などという頭に血が上ったことは夢にも思っていない。
チベット仏教だの座禅会だの、山岳修行だの、伝統的な仏教の体験や学びは行ってみたらいいと思う。ヨガや気功もしたらいい。
レイキヒーリングをやっている門下生もある。
それは帰って来るななどと言わない。
どう違うのか?
そういう団体の多くはここ以外は行くな!とも言わないからだ。
いうなら話は別だ。
そういうのは大概、金儲けの団体だ。おいしいことをいって期待を膨らますのは得意な団体だ。
そして、そういうところは必ず自分の所が一番素晴らしい。今やっているものはもうやめてここに来なさいと吹き込む。
それでそれを真に受けて当院の信者を辞めたいけど切り出せないでモジモジしている人を見るのは面倒で嫌なのだ。
昨日や今日作ったような教えに心惹かれるならうちには縁はないと思うからやめていただくのは望むところだ。
さっさと辞めてくれればむしろ感謝する。理由の如何に依らずやめればさようならだ。
止めなどしない。
そういうメリハリのないのはキライだ。
辞められてショックもなければ残念もない。その人の自由だもの・