金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

願わくはこの功徳をもって

「願わくはこの功徳をもって普くいっさいに及ぼし我等と衆生と皆仏道を成ぜんことを」

回向文で一切衆生に回向をなす。

なのに在家はご祈祷とかはしてはいけないのはおかしいという質問。

 

無論、家内安全や家族の健康を祈るのは誰でもそう思う。

そしてこの祈りは基本だ。

していいどころか信仰のあるものなら当然しないといけない。

じゃあ友達や彼女は?

勿論それもいい。

ペットのワンコやニャンコもいい。

 

誰であれ祈っていいのだ。

 

でもそうかといって「ご祈祷法」というものまでは一般の人には決して教えない。

何故か?それは僧侶のする祈りは「無縁の祈り」だからだ。

 

無縁の祈りを結ぶのは「布施をする」ということ。

平たく言えば志を収めて本人から頼むということだ。

だから布施をしない方のことを勝手に祈ってもつながりにくい。

相手が意識しないから。

こういう祈りは専門のする御祈りなのだ。

そこに縁がなくとも祈ることにより、そして祈ってもらいたいということにより初めて縁が生まれる。

凡夫であろうと仏に変わって布施を受けるに値する修行がそこになくてはいけない。

その修行が自他ともに認められる人だけが布施に値する。

古来この世界では「布施なき経は読むべからず」という。

私は昔、「お金を頂かず人様の御祈願をしていきたい」と言ったら師匠が「そんな程度の気持ちなら祈願に値しない。お布施を頂く自信がないようなものなら祈願はすべきでない」と言われたのもそうだと思う。

爾来、自分の徳積み修行と思っていただかぬ祈祷はすることもあるが、それはあくまで私が判断すること。

頼まれれば志納料は頂くのが道理と思っている。

大きい御祈祷を頼みたいがお金がないのでという人は、持ち合わせに見合うことをすれば後は信仰を強くもてばいいと思う。