金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

中ということ

空だの、無だの、真如の、実相のといったところで、考えてみれればそれは生きている間の御託にすぎぬ

生きているということを第一に考えよ。

火災で何もかも失って死にたくなったりしませんか?という人もあるが・・・

ならない。

なるわけがない。

火災から逃げるのだって命が大事だから逃げたのだろう。

それでわざわざ助かったのに死ぬバカはない。

生きているということ以外はみな夢、幻だ。

焼いてなくなったものも自分自身であるものは一つもない。

私自体は少しも損なわれていない。

なのになにが悲しくて死ぬことなどあろうか。

この生きていることを天台の三諦でいえば「中」というのだと思う。

「空」も「仮」も言ってみれば観念の世界。

「中」こそが現実。

「中」を忘れれば頭の中の妄想にすぎないのだ。

「中」あってこそ空も仮も生きてくる。

そしてその中に気づくのは「空」や「仮」の考えがあってこそだ。