空だの、無だの、真如の、実相のといったところで、考えてみれればそれは生きている間の御託にすぎぬ
生きているということを第一に考えよ。
火災で何もかも失って死にたくなったりしませんか?という人もあるが・・・
ならない。
なるわけがない。
火災から逃げるのだって命が大事だから逃げたのだろう。
それでわざわざ助かったのに死ぬバカはない。
生きているということ以外はみな夢、幻だ。
焼いてなくなったものも自分自身であるものは一つもない。
私自体は少しも損なわれていない。
なのになにが悲しくて死ぬことなどあろうか。
この生きていることを天台の三諦でいえば「中」というのだと思う。
「空」も「仮」も言ってみれば観念の世界。
「中」こそが現実。
「中」を忘れれば頭の中の妄想にすぎないのだ。
「中」あってこそ空も仮も生きてくる。
そしてその中に気づくのは「空」や「仮」の考えがあってこそだ。