金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

呪詛の話

よく呪われているのかもしれないので是非みてもらいたいという人があります。
凄いのになるとグラグラと家鳴りがして喉が締まってくるとかいう人もいます。
そしてそれは会社の仲の良くない同僚や別れた恋人が呪っているとかいうのですが、ここまでくると「なんと!貴方はそんな凄い神通力がある人と付き合ってたのですね・・・・?」と思ってしまいます。
これを聞いて「そうだよね?そんなはずがない。.」と思えばここで呪詛は破れます。
でも呪詛と云えばこれも確かに呪詛なのです。
但しおそらくそれは他人がかけた呪詛ではなく自分が自分にかけているのです。呪詛には色々なレベルがあります。
これはそのなかの一番単純なものですね。
この原理からいえることはこういう呪詛はかけられた!と思ったらかかってしまいます。それがたとえ誤解でもそうなるのです。
そうすると身の回りに面白くないことが続出します。
だからこの手の呪詛の上手な人は何らかの形で呪詛を掛けたことを知らせます。
たとえば不幸の手紙や脅迫状のようなものが届くとどうなりますか。お前を恨んでいるので呪ってやると云う呪いの手紙の類です。
これを相手が「怖ろしい」と相手が思えばそれでかかります。
引き寄せの法則の逆です。かけられた側は小さな不幸をきっかけにして勝手にドンドンそれをふくらまします。
この手の呪詛は豪胆な人にはかかりません。
「やれるものならやってみろ」と云うタイプです。
このセリフは実は強力な魔よけです。
気の弱い人でもこれを口にすれば呪詛は届きません。
本当はどんなに怖くてもこれを言えればまずは大丈夫です.カンタンです。
小声で何回か囁くように言うだけで良いのです。
そうでなく「助けてください。なんとかしてください!」と怯えて駆け込んでくる行為は悪くすると余計呪詛を深めます。
恐怖から出た行為だからです。呪詛の正体は恐怖ですから。
此れと違って高等な呪詛と云うか本格的な呪詛は霊体がからんできます。
こちらは背後に応援がつきますから簡単にはいきません。前の呪詛が素人の呪詛ならこれはプロの呪詛です。
或いは怨霊などの霊体が主導に働く呪詛です。
この手の呪詛は全く逆に相手にそれを知られないことが大切とします。
ただし、先ほどの素人レベルの脅迫的呪詛でもこれに便乗して魔が入れば大変なことになることもあります。かけた側もかけられた側も魔に魅入られますから。
でも大体は「呪い」と言ってもそれ以前のものでしかない。
ですから占いも下手なことを言うと呪詛になります。占い師は末路が良くないということを聞きますが呪詛を掛けてしまうとカルマができますので悪意が無くてもそうなります。タロット占いなどは良くも悪くも運勢を作ってしまいます。
タロット自体が悪いのではありませんが自分という中心柱が抜けてしまい全部を運勢や運命で考えればそのまま自分に占いのままに運命を作る呪詛を掛けることになります。
なにがどうなるかでなく、自分はなにをなすべきか?この心が有れば占いも真に活きてきます。