金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

無駄は楽し。

最近は研修生が卒業したため、車を運転する人がいないので、夕方になると良く歩いてお買い物に行きます。
うちからブラブラと畑の真ん中を通って行くのが割合気に入っています。拙寺は山奥ではないし、ちょっと行けば広い道路ですがキジや鶯、雲雀、小綬鶏、ホトトギスなどがいて絶えずさえずり、裏庭にはタイワンリスもいます。見たことないけど野兎なんかもいるらしい。
周囲の景色を眺めているうちいつの間にか目的地に付きまたブラブラと帰ってきます。
今までは車で目的地にふっとんでって用が済めば即、引き上げ、さあ、次の用事はなんだ?という感じでしたが、最近はまあ、考えてみればそんなに急ぎの用もなければゆるゆるでいいやという感じでやっています。以前は早くしないと不安でした。でも用事と云うのは数限りなくあるので早くしたからってこれで完了とか終わるわけじゃない。
早くやらなきゃ駄目だ!と思うだけで実際はいつまでもやらなかったりもします。
きっと思いを先行させてそれで安心しようとしているのですね。

実際は最近、手伝いがいなくなって独りになってしまいましたから朝は早くから掃除だの生き物の世話だのして、それが終わると飯は作るわ、原稿はかかなくちゃいけないわ、ご祈祷するわ。人と会うわ。出かけるわ・・・・でフルに忙しいのです。ニュースなども見る暇ないので最近世の中で何が起きているのかよく知りません。
でも、なんとなくやっているうちになんとなく過ぎていく。
これをさあ次は何?と云う気持ちでやっていると擦り切れます。
人生も目標や目的地だけ見てタッタカ走っているとなんか間がはしょわれて短くなりそうです。
大寺院などに修行に行くととにかく何をしても、「早くしろ!」と罵声が飛びます。やっていてもそういわれる。勿論、修行だからこれはこれでいいのです。
だけど、一生こういうモードになっている人がいますね。
それって本当に必要なんですか?
早いのは善でゆっくりは悪ですか。
それより色々景色を眺めるような心でいった方が豊かじゃないですかね。
四国遍路がそうです。調子だしてどんどん行けとばかりに吹っ飛ばして走るように遍路していたら、ある同行さんに「おんなじですよ。急いでもおんなじですよ。」と云われたのを思い出します。
「いいや、そういうのは時間の無駄だ!」とか「人生短いのだから、そんな暇なんてないのだ!」と思う人もいるけど、実は人生なんて大部分のそうしたどうでもいい何の変哲もない長~い時間とピンポイントのような短い人生のイベントとの組み合わせでできているように思います。
だからこそ人生の無駄な時間を楽しめた方が本当は人生に無駄がないと思うのです。
そのほうがひたすら用事と用事の間を猛スピードでワープして生きるより人生はたぶんずっと豊かになるのじゃないでしょうか。